HISTORY

食とともに歩む「食創」の歴史

「食創」は2002年春、半世紀にわたり米穀卸売業として歩んできた
十勝米穀(株)と空知米穀(株)が、志をひとつにし、
さらなる飛躍を目指して生まれた会社です。
約70年に渡り、食のリーディングカンパニーとして走り続けてきました。
「食創」のこれまでの歩みをご紹介します。

食とともに歩む「食創」の歴史

「食創」は2002年春、半世紀にわたり米穀卸売業として歩んできた
十勝米穀(株)と空知米穀(株)が、志をひとつにし、
さらなる飛躍を目指して生まれた会社です。
約70年に渡り、食のリーディングカンパニーとして走り続けてきました。
「食創」のこれまでの歩みをご紹介します。

1952〜1961昭和27年〜昭和36年

企業基盤の構築

1952昭和27年

「食創」の全身である「十勝米穀」を設立。

2月29日資本金750万円にて設立登記をし、3月16日の臨床株主総会にて、不動産の取得・貨物自動車購入等を決定して事業開始の準備を進めた。4月から本格的に業務を開始し、事業は十勝食糧卸協同組合の精米と輸送部門を引請けた玄米の搗精と運送業務、米・麦類を除く砂糖、澱粉等食糧品の卸売りであった。

初代社長 宮本寅次郎
1956昭和31年

「十勝食糧卸協同組合」を吸収合併。

1月1日をもって十勝食糧卸協同組合を吸収し、資産・職員・業務一切を引き継ぎ、資本金を30,687千円にし、従来の業務に加えて米穀卸売りを開始した。3月には資本充実のため資本金を52,523千円に増資し、5月には、従来の精米工場を大型集中精米設備に更新し、委託精米工場10ヶ所の内4ヶ所を残して委託を中止した。

1960昭和35年

専務の西佐古寅一が社長に就任。

本作も豊作が予想され、大量のヤミ米が流通して制度の危機が叫ばれ、11月からの配給量は8㎏に引き上げられた。当社も配給辞退が多くなり、とくに外米・精麦は低調で、食料類はやや漸増を辿ったが、米の落ち込みを償いできず、前期の売上に達しなかった。5月18日、宮本社長は会長職に就き、専務の西佐古寅一が社長に就任した。

2代目社長 西佐古寅一

1962〜1971昭和37年〜昭和46年

事業多角化の推進

1962昭和37年

LPガス販売を開始し業務を多様化。

米穀の産米改良や古米処理、生産者米価の引き上げ、政府買い入れの増加等に起因して政府米の依存度は高まり、需要も増加した。前年に日清飲料(株)の特約店になり、1月から新たに飼料部門を設け、また4月からLPガス販売を開始し、業務の多様化をはかった。

米穀店一行 九州・四国方面旅行
1964昭和39年

食糧庁との政府食糧の保管委託契約を締結。
登録小売店と「十勝米穀会」を組織。

昨年産米の政府買入高は685万トンに達し、配給米の売行きがよく、政府は内地米の計画売却を行い、特用米を配給枠内に入れ、準内地米の輸入促進を図った。2月に丸十商品倉庫(株)を吸収合併し、倉庫業営業の認可を受けて10月より営業を開始し、12月には、食糧庁との政府食糧の保管委託契約を締結。登録小売店との緊密化をはかるため10月十勝米穀会を組織した。

1965昭和40年

遠隔地対策として広尾町・足寄町に
事務所及び倉庫を建設。

不況により一般商品が不芳ながら、年初よりの米価改訂により、販売額は前期を上廻った。なお7月に資本金を1億円に増資。遠隔地の販売対策とし、広尾町・足寄町に事務所及び倉庫を建設した。4月21日会長宮本寅次郎が逝去され、合同社葬が行われた。

2代目社長 西佐古寅一
1969昭和44年

西佐古寅一社長が勲5等瑞宝章受章。
本社ビルが完成。

古米の増加による財政負担等により、4月から配給制度改善措置を実施した。当社は自由米の横行・登録店の異動等により売行きは不振であったが、8月以降自主流通米が出廻り始めて幾分持ち直した。永年米穀業界に尽くされた功績により西佐古寅一社長が4月に勲5等瑞宝賞章を受章し、9月には建設中の本社ビルが完成した。

1972〜1981昭和47年〜平成3年

営業・製造・物流体制の整備

1973昭和48年

水晶米による商標統一と釧路出張所の開設。

石油ショックにより、インフレが進み、経済は混乱したなかで、当社は鋭意販売努力に注力して、相応な業績が計上できた。また予ねてより検討を進めていた事業として、3月水晶米による米の商標統一、5月飼料販売のための釧路出張所の開設、将来の飛躍に備えた。

1975昭和50年

流通団地に精米工場・低温倉庫・事務所が完成。

業界では需要の減退により、余り米・不正規流通米等の問題に悩まされた。当社は上質米の量販に力点を置いて対応したため、金額では上伸していたが、実質内容が伴わない面があった。今後の経営を考慮して、施設の合理化を進めるべく、流通団地に3千坪の土地を購入して精米工場・低温倉庫など流通施設の建設に着手し、翌年4月に完成した。

完成した精米工場・低温倉庫・事務所(昭和51年)
1980昭和55年

総売上高100億を突破。流通団地に食品・飼料倉庫が完成。

景気も回復せず、業界は食管法改編等の問題に悩まされた年であった。当社は後半にいたり、古米と低品質4・5類の消化を余儀なくされるなど、多難であったが、取引は安全第一に終始した結果、さしたる不良債権も発生せず総売上高は100億を突破した。また流通合理化のために、流通団地に商品倉庫4棟を建築し散在した倉庫を集約した。

食品・飼料倉庫完成(昭和55年)
1981昭和56年

旧工場・倉庫を取り壊し、駐車場として営業開始。

2年連続の不作による上質米の不足により、古米と低品位米の消化による米離れが進み、また飼料も畜産業者の転廃業が続出するなど、厳しい環境ながら、営業努力により前年並の業績を維持できた。社内業務の合理化のためコンピューターが稼働し、東2・3条所在の旧工場・倉庫などを取り壊し、その跡地を整地し駐車場として営業開始した。

1982〜1991昭和57年〜昭和56年

経営基盤の充実

1984昭和59年

色彩選別機の導入・水晶米発売20周年記念のセールを実施。
社長に専務の西佐古求が就任。

米の品質の向上と販売促進を図るため、色彩選別機の導入・水晶米発売20周年記念・帯広十勝サマーセール等を実施し、また灯油販売許可を受けて10月から営業開始等により、景気低迷のなか、順調な売上であった。3月の株主総会で、西佐古社長が会長、社長に専務の西佐古求が就任した。なお西佐古会長は6月1日享年90歳にて逝去された。

1989昭和64年
(平成元年)

釧路出張所を支店に昇格し、社屋を新築。
冷凍設備を増設し冷凍食品の取扱を開始。

全国作況指数99の平年並のなか、道内は108と豊作で、道産米の評価をあげ、とくに10月より発売したキララ397は予想以上に好評であった。米穀・飼料・食品・燃料の各部門ともに順調で、前期比13%増の126億円の売上になった。8月釧路出張所を支店に昇格し、社屋を新築して飼料以外の取扱を開始した、11月には冷凍設備を増設し、本格的に冷凍食品の取扱を開始した。

新築成った釧路支店(平成元年)
1991平成3年

精米工場を増改築、機械設備を更新し稼動を開始。

消費者ニーズの多様化・少量多品種時代に対応できる商品の在庫管理・製品の品質管理に対応するために、昭和51年建設した精米工場を増改築、機械設備を更新して11月より稼働した。企業体質と営業強化を図った結果、各部門とも前年を上回る伸びを示した。

1992〜2001平成4年〜平成13年

営業力の強化

1992平成4年

道内で初めて無洗米設備を新設し、
無洗米「きれいさん」を発売。

全国的には作況指数が101と平年を上回る水準であったが、道内では作況指数89と不良のなか、売上額は204億円と順調に増加し、200億円を達成した。商品の高付加価値化の対応のために無洗米設備を道内で初めて新設し、12月には無洗米「きれいさん」を発売した。

道内初の無洗米
「きれいさん」を発売(平成4年)
1993平成5年

道央地区の販売拡大のため、札幌支店を開設。

冷夏による大凶作で全国の作況指数が74と過去最低の84(昭和28年)を下回る凶作となり、9月から10月に米不足が発生し、業界も混乱し、当社としては顧客に安定供給をするために、最善の努力をした。営業面では、1月に道内最大のマーケットである道央地区の販売拡大のために、札幌支店を開設した。

1995平成7年

燃料部の事務所を新築。

戦時下の昭和17年以来続いた食糧管理法に代って、11月より新食糧法が施行され、今後の販売競争の激化に対応するために、仕販先から選択される卸になるべく注力した。10月には燃料部の事務所を新築した。

燃料部の事務所を新築(平成7年)
1996平成8年

旭川、北見に加えて道外に初めて東京に営業拠点を設置。
コンピューター管理の自動立体倉庫を設置。

需要低迷のなか、新食糧法により米穀卸・小売の登録が増加し、販売競争は一層厳しくなるなか、10月には旭川・北見に加えて道外に初めて東京に営業拠点を設置し、販売力を強化した。また8月には物流の効率化のためにコンピューター管理の自動立体倉庫を設置した。

米穀卸として初の有機農産物
小分け業者の認定を取得(平成12年)
2001平成13年

「空知米穀」と合併の調印をし、新社名「食創」となった。

国内では一段と景気が失速し、デフレ不況が叫ばれ、アメリカでは連続多発テロの発生など内外共に混迷の21世紀のスタートの年になった。10月に無洗米設備の増強に加えて、空知米穀(株)との14年4月合併の調印をし、新社名「(株)食創」となった。

無洗米設備の増強(平成13年)

2002〜平成14年

新たな躍進

2002平成14年

十勝米穀と空知米穀が合併し新会社「食創」を設立。

十勝米穀(帯広)と空知米穀(滝川)が2002年4月1日に合併し、新会社「食創」を設立した。本社は帯広。道内外に営業拠点を展開する十勝米穀と米主産地にある空知米穀が合併することで、事業基盤を固め、道央圏や本州への営業強化を図った。

【新社名の意味】
米をはじめとする数多くの“食”は大地の恵です。21世紀において“食”はよりおいしく、より豊かで、より安全であることが求められています。それはまた、大地の未来と共生でる“食”であることが重要です。新会社名は、このような“食”の分野で21世紀にふさわしい新しい価値を“創”り出していこうという決意と気概を二つの漢字に込めてネーミングしました。ちなみに“創”という漢字のなかには米穀の味わいを保つ「倉」という文字が入っています。

社長挨拶
2010平成22年

介護付き老人ホーム「みのり帯広」を設立。

2010年5月に介護付き有料老人ホーム「みのり帯広」を開設。急速に進む高齢化社会にくつろぎと安心を提供するべく、また地元への社会貢献の一環として福祉分野での事業展開に乗り出した。

2014平成26年

代表取締役社長交代。
竹森直義 代表取締役社長に就任。

吉住敏夫会長兼代表取締役社長が退任し、常務取締役の竹森直義が代表取締役社長に就任した。関連会社の道東ライス(幕別町)、道栄商事(滝川市)の代表取締役社長も兼任することとなった。

2018平成30年

自社精米工場が十勝初の「精米HACCP」の認定を取得。

自社精米工場が国の基準に基づく「精米HACCP」の認定を受けた。認定取得は十勝管内の精米工場では初。安全・安心なお米を届けるため、食品安全確保の国際基準であるHACCP手法に基づき、原料受け入れから製品出荷までを総合工程管理し、食品安全や品質管理、汚染防御監理などを図った。